濱島氏との出会いは、私が広州に来たばかりの二千十五年十二月のことだった。
同僚に「おもしろい美容師がいるから紹介してあげる」と言われたのが最初だ。
同僚の話しでは、その濱島さんという美容師は、還暦を迎えた六〇歳のおじいちゃんだと言う。
私はその美容師にすぐ興味を覚えた。六〇という年齢もあったのだが、この中国で、現役の美容師として働いているのだ。
興味が湧かない方が珍しい。
濱島氏は確かに広州市内の美容室で働いていた。
受付で「予約した森です」と告げると、すぐに濱島氏が現れた。
ハット帽をかぶり、チェック柄のワイシャツの上に黒いベスト羽織っている。
そして跳ね上げ式のサングラスの奥に優しそうな眼を覗かせていた。
見た目もそうだったのだが、それ以上に年齢を感じさせない何かが濱島氏にはあった。
強いていうなら、若者特有のエネルギッシュさのようなものだろうか。
颯爽としていて、まるっきり年相応の年齢を感じさせないのだ。
私は眼の前にいる男にますます興味を覚えた。この若々しさは、どこから来るものだろう?
「私はね、今が一番楽しいんですよ。仕事だってめちゃくちゃ楽しいんです」
濱島氏は眼に皺を寄せながら嬉しそうに私にそう言った。
過去や未来ではなく、今、この瞬間を楽しんでいる、というような口ぶりだった。
いつかこの男の人生を深く覗いてみたい、もっと詳しく話しを訊いてみたい。カットが終わる頃には、私はそう感じるようになっていた。
私は常に思うことがある。
人間というものは、表面だけでは何も分からない存在なのだと。
人間、ただの骨と肉の集まりに過ぎず、そこから精神を読み取ることは極めて難しい。
人に言えない悩みや不安を抱えている人間もいれば、壮絶な過去やトラウマを持つ者、また絶望の淵に立たされた人間も存在する。
そしてどのような人間であったとしても、年を重ねた分だけの人生のドラマが確実に存在するのだ。
しかし、たとえそれらの人生を覗いてみたとしても、その人間のことを理解したような気になるのも、また間違いとも言える。
なぜなら、人間とは海の知られざる深淵のようなもので、どこまでもいっても人間の心理に辿り着くことはできないのだ。
私たちにできることといえば、それらの人生を覗いてみて、わかったふりをするだけなのかも知れない。
そして、泣いたり笑ったり、怒ったり、教訓を得たり得なかったりするくらいが関の山で、それでも人間の持つ深い心理の扉を叩いてみたいと思うのが人の性というものだろう。
扉を開けば、何かあるかもしれない。あるいは、何もないのかもしれない。それは扉を叩いてみるまで分からない。
濱島氏の話しを詳しく訊いてみたい、そう思っていた矢先、美容師の遠藤から「中国で働く美容師を紹介したい」という申し入れがあった。
私としては、願ってもない機会だった。店に二度めに訪れた際、私は濱島氏に取材を申し込んだ。
濱島氏は快く取材を承諾してくれた。
この物語の主人公でもあり、海外で活躍する日本人美容師の濱島一二氏
取材中の濱島氏と森。